須坂市地域おこし協力隊の宮澤です!
協力隊に着任してから4か月が経とうとしています。あっという間。
活動している中で、メディアに取り上げていただいたり、大学や須坂市の広報の方から取材をしていただいたり、自分のことについて話す機会が多くなりました。
話すことが苦手なので、ちゃんと上手く喋れていないところも沢山あると思うのですが、取材してくれる方の皆さんが、話しやすい環境を作ってくださったり、話した内容を丁寧にまとめてくださって本当にありがたいです泣
そこで、ブログ内でも何で東京から長野へ移住したのか、なぜ須坂の協力隊になったのかについてなど、自分のことについて少しまとめておきたいなと思います!
生まれは長野、育ちは東京、そして再び長野へ
実は私長野県長野市生まれらしいんです。
生まれてそんなに経たないうちに東京へ引っ越し、それからはずっと東京都の八王子市で育ちました。一応長野生まれですが長野での生活の記憶はまったくありません(笑)
長野大学進学をきっかけに上田でアパートを借りて独り暮らしを始め、協力隊に着任する際須坂に引っ越して今に至ります。
誕生(長野県長野市)
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幼少から高校生まで(東京都八王子市)
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長野大学環境ツーリズム学部進学(長野県上田市)
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大学4年生8月、須坂市地域おこし協力隊に着任(長野県須坂市)
須坂に来たのは今年の8月ですが、長野暮らし自体は4年目になります。
なぜ長野の大学?須坂の協力隊?
田園風景の広がる祖父母の家によく通っており、田舎の風景や自然豊かな環境が好きだったせいか、小さい頃から田舎暮らしに強い憧れを抱いていました。
高校は東京の中でもなるべく西側(山側)に進学。
大学はより山を求めて、長野に住み始めました。特に長野にこだわりがあったわけではないのですが、興味のあった「地方創成」をの分野を学ぶ際により地域に密着した学びができる、そして憧れの田舎暮らしができるという点から地方大学を選びました。
長野で暮らして4年目になるのですが、長野での暮らしが心地よ過ぎてもう東京には戻れそうにないな~と最近よく思います。
須坂の協力隊になったのは、峰の原高原が須坂にあったからです。大学の活動の中で峰の原に出会い、その出会いが協力隊になるきっかけでした。本当にこれが全てです。なので、須坂の地域おこし協力隊になりたかったため、他の地域の協力隊になるということは考えていませんでした。
なぜ峰の原なのか…?私と峰の原との馴れ初めは語り始めるととてつもなく長いので、また別のブログで書きたいと思います!
大学生で協力隊として活動する理由
現在、私は長野大学環境ツーリズム学部4年、そして須坂市地域おこし協力隊です。
正直、こんな変わった働き方をすると思っていませんでした。
企業に就職して普通に働くんだろうなと思っていたのですが、峰の原との出会い(当時大学2年)が私の人生を大きく変えてくれました。
3年生の時には企業説明会に行ったり、インターンシップに行ったり、就活っぽいこともしていましたが、3年くらい働いたら峰の原に戻りたいな~なんてことも考えながらやっていた感じです。
須坂市地域おこし協力隊の募集がかかってからは、完全に協力隊の道しか見えてませんでした。
一度自分の中でこれと決めたら一直線に進んでしまう癖があるので、この機会を逃したらダメな気がすると思い、大学生で協力隊になるという選択をしました。
大学と仕事の両立、通学だったり大変な部分は色々ありますが、今の時間は今までで一番充実して濃い時間になっていると実感しています。
私が今大学に通いながら協力隊の活動ができているのは、協力隊や協力隊のOBの方、市の方や地域の方、そして家族や友人、沢山の人たちの支えがあるからです。
今の状況が当たり前だと思わず、支えてくれている人への感謝の気持ちを忘れずに今後も須坂の協力隊として活動していきたいと思います。
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