須坂市地域おこし協力隊の野澤です。
今回は須坂市の木について注目してみたいと思います。
あえて分けてご紹介したと考えたので、前編と後編に分けました。
全国的に注目され始めた「クマスギ」
言い伝えによると今からおよそ300年前、東(あずま)地区の先人(米子町の竹前某との説も)が越後の熊野神社に参拝の帰途、さし木として持ち帰ったのが由来と言われています。
熊野大社のスギなので「クマスギ」という名で呼ばれることになったそうです。
花粉の量が普通のスギの1割以下
「クマスギ」は、須坂市などを中心に古くから植栽されてきた県産のスギの品種ですが、生産者の高齢化などに伴って近年、ほとんど増産されなくなっていました。
一方で、センターの20年ほど前の調査では、花粉を飛散させる雄花の数が少ないことが分かり、実際の花粉の発生量もほかのスギの10%以下と分かってきています。
萬龍寺(ばんりゅうじ)のクマスギ
須高地域がクマスギの産地となったのは前述した熊野神社から持ち帰ったさし木の2本を亀倉町の萬龍寺の参道に植えたのが母体となり、さし木によって須高地域に広がっていったとこのことです。
樹齢は約300年で、昔は巨木が2本あったそうですが、昭和57年の台風の際そのうちの1本(写真左側)が折れてしまい、現在は一本(写真右側)のみ残っています。
クマスギが須坂市の木に選定された経緯
昭和49年11月3日に市民憲法と共に「市の花」「市の木」が制定されました。
「市の花」はレンゲツツジです。五味池破風高原の大群落が須坂市を象徴する理由となり選ばれました。
なお、五味池破風高原にレンゲツツジが多いのは、かつて牧場があった頃、家畜が食べなかった(レンゲツツジは有毒性なので)ため生き残り、群をなしていったとのことです。
「市の花」「市の木」の選定については公募によって行われ、委員会の選定によって決まりました。
その結果、応募数が一番多かった「クマスギ」が選ばれたのです。
ちなみに応募数ですが、昭和49年11月1日発行の須坂市報より以下の通りでした。
クマスギ129票、赤松28票、りんご10票、サクラ&クヌギ4票、ケヤキ&イチイ&白樺&桐3票、トチノキ2票、レンゲツツジ&イチョウ&アカシヤ&樫の木1票
クマスギの挿し木技術、途絶える…
須高地域でのクマスギの挿し木による苗木生産は技術者の高齢化により、途絶えてしまいました。
せっかくクマスギが注目されて需要があるのに、生産が出来ないのは残念です。
今後、長野県林業総合センターで生産技術の研究を開始するとのことで、今後に期待です。
続く…
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