HPレイアウト変更しました@2023.8.3_野澤隊員

井上性発祥の有力地、長野県須坂市の井上地区の井上山周辺を調査!

野澤の煌めき須坂録

突然ですが、日本全国におよそ61万人いる井上さん発祥の地は長野県須坂市の井上地区が有力であることをご存知ですか?

2024年、イオンモール須坂(仮称)が須坂長野東IC近くにオープン予定ですが、そこは井上地区です。菅平高原と峰の原高原に跨る裏太郎ゲレンデ周辺の森林も井上地区です。

そう、井上地区のエリアは広いのです。攻守優れているのです。

今回はその井上地区のコアの部分に迫ります!

井上さんのルーツとは?

井上性は日本で16番目に多い苗字です。井上さんは西日本に多くお住まいですが、これには理由があるのです。

井上姓のルーツといえそうな有力な候補地が信濃国高井郡井上(長野県須坂市井上=長野自動車道須坂長野東IC周辺)から起こった清和源氏頼季(よりすえ)流の井上氏がいる。
平安時代後期、平忠常の乱を平定した源頼信は、三男の源頼季(みなもとのよりすえ)を信濃国井上に置く。
この子孫が井上氏を称して、いわゆる信濃源氏として勢力を伸ばしていった。
「源平の戦い」で知られる治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん=平家の滅亡までの一連の戦乱)では北信濃の源氏方として平家方と戦いを繰り広げ、やがて、その子孫は信濃から甲斐・武蔵・越後・上総・遠江・播磨・安芸にと勢力を拡げていった。

引用:ニッポン旅マガジン>井上さんのルーツを探せ!

要するに須坂市の井上さんが西日本へ勢力を伸ばしていった訳ですね!

井上城址登山口から開始

本日一緒に登るメンバーと合流して、今日のルート確認の打ち合わせです。

映る後ろ姿はそう、同じ協力隊のODA隊員、のーす隊員です。

そして私は協力隊になってから初めての登山という登山でウキウキです。(花粉さえ無ければ…)

今日のルートを皆で確認
今日のルートを皆で確認

登山口から少し登っただけで良い景色が見れます。

同時に高速道路を走る車の音も聞こえるようになりました。この山が天然の防音壁となっていた訳です。

井上山登山口から少し登った景色
井上山登山口から少し登った景色

柏の木の豆知識

カシワは落葉樹ですが、秋に葉が枯れても翌年の春に新芽が芽吹くまで葉が落ちることがなく残っています。また、枯れ葉が春先まで落葉せずに残こる特性は縁起が良いとされているとのことです。

柏の葉(新芽が出ると落葉する)
柏の葉(新芽が出ると落葉する)

丁度この頃、新緑が綺麗で良い感じに森林浴を楽しめました。黄緑色が映えます!

新緑とODA隊員
新緑とODA隊員

しっかりした三角点。大切にしましょう!

三角点
三角点

大城・小城と空堀

最初に訪れた小城跡からの展望が一番良かったです。

というのも、ここが植樹が少なく、育っていないのです。故に展望が良いのです。

小城跡からの展望
小城跡からの展望

空堀とは?

水の無い堀です。土塁ともに山城の重要な防護施設であり、特に竹ノ城跡周辺で確認することが出来ました。

大城・小城と空堀
大城・小城と空堀
小城跡の標識
小城跡の標識
大城跡の標識
大城跡の標識

朽ちた標識

井上山山頂へ通じる道標となるはずの標識が朽ちてしまっています。

ギリギリ読める…くらい。

朽ちた井上山山頂への標識
朽ちた井上山山頂への標識

育ちすぎた人工林が原因で展望が無い

長野市若穂地区側は赤松、須坂市井上地区側は唐松が植樹されています。

山頂も例外ではありません。もはや伐木する人は無く、育ち過ぎた木々が展望を妨げます。

木が無ければ須坂市と長野市を一望出来る素晴らしい場所なのですが…

山頂の育ち過ぎた人工林(カラマツが多い)
大洞山山頂の育ち過ぎた人工林(カラマツが多い)

大洞山山頂でお昼休憩、山頂は広い!けど展望は無い…

大洞山山頂
大洞山山頂

送電線周りの樹木は昨年末に皆伐されたようで綺麗になってました。

この切り方からしたら向こう30年くらいは切らなくても大丈夫そうな感じでした。

送電線周りの伐採跡
送電線周りの伐採跡

井上城(竹ノ城跡)に迫る!

と、いうことでグルッと周回コースの最後のピーク、竹ノ城跡に着きました。ここが井上さん誕生の地です。

井上城(竹ノ城跡)は、中世に築城され井上氏の居城となったが、戦国時代に武田氏と反目して上杉方となり、慶長3年(1598)の上杉景勝の会津移封で廃城となった。その時、井上一族も上杉氏の臣下として会津に移っている。
この井上氏は、須田、高梨、村山、仁礼氏の総本家。
井上城跡は大洞山から尾根筋の末端に築かれた山城。北麓にある井上氏居館は、前面に大城・小城を、東方に竹ノ城を馬蹄形に配する扇の要の位置にあり、一丁四方の方形で周囲に水堀を巡らしていたとか。
山麓の井上山無量寿院浄運寺(長野県でいちばん古い浄土宗の寺)から城跡への登山道が通じているが、その土塁と曲輪、壕跡がわずかに残り井上氏の栄華を今に伝えている。
須坂市大字井上字土栗2916(井上の土栗集落/つちくり)には鎌倉時代〜室町時代の五輪塔や宝篋印塔が集められた井上氏墳墓も残されている。

引用:ニッポン旅マガジン>井上さんのルーツを探せ!

しかしながら、ここも育ち過ぎた人工林で展望がありません…新緑の季節ですらこれでは夏場はもっと見えないでしょう…

ただ、夏場に登るには標高が低く、木々が風を遮るので、きっと灼熱の登山となり熱中症になってしまうと思うので真夏の登山は避けましょう。

竹ノ城跡の歴史を記した看板
竹ノ城跡の歴史を記した看板

朽ちた倒木は全校登山の記念樹だった

竹ノ城跡の中央に倒木があり、帰り際に確認してみると全校登山の記念で植樹したものであることが分かりました…

倒木と記念碑
倒木と記念碑

まとめ

インターからのアクセスも良く、山頂からは絶景が見えるはずながら木が育ち過ぎて樹林帯となり、展望が無くなってしまった山頂。

今回はその事実を知る良い機会となりました。

森林の保全は大変

植樹によって育ち過ぎた木々が視界を妨げることは前述の通りですが、それ以外にも立ち枯れや倒木が沢山ありました。

ではこれらを誰が整備するのか…ということですが、所有者が行ってくれれば一番良いのですが、それはなかなか難しい問題なので、所有者の許可を取りつつ整備出来れば…

「ではどうするの?」という問いにはまだ答えられない自分ですが、別件で行っている『森林サービス産業』で答えが見つかるはず。

今の自分には知識と経験値が不足している…クロノトリガーで言うと1000年祭でラヴォス戦に突入してしまった感じ。

待ってて井上山!虹装備を手に入れたら必ず戻ってくるから!!

つづく…

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