HPレイアウト変更しました@2023.8.3_野澤隊員

令和6年能登半島地震 生まれ故郷の金沢で被災して。不甲斐なさ、情けなさ…それでも、自分にやれることは何か。

須坂市地域おこし協力隊の北です。

私の生まれ故郷である石川県が正月早々から被災に見舞われて今も戦っています。

そして、石川県はこれからもっと長い戦いが続きます。

この正月が仕事も全く手につかず、何も出来ずただテレビを眺める日が続きました。

今は離れて須坂市に居ますが、私に何が出来るのか?

自分なりに前向きに考えていきたいと思います。

今も被災地で苦しむ人達に1日も早く平穏な日々を取り戻せるよう心より祈っています。

※具体的に私が体験した揺れを書くので、見たくない方はここで閉じてください。

過去のトラウマ

実は私は3.11の東北大震災のころ、仕事で良く仙台に行っていました。

ちょうど機械の設置工事を控えており、3/12の搬入日を迎える前に建屋が破損、大きな被害を受けました。

そしてその後に日程変更した搬入を無事に終えて、取り扱い説明に向かいましたが、そこで震度6強の”余震”を受けました。

その時は宮城の鳴子温泉に宿泊して(仙台市は復興作業者でホテルが埋まっていた)古い旅館に宿泊するしかありませんでした。23時30分でした。1人で和室で寝ており遠くから「ゴォォォォ」と地鳴りが聞こえました。当時はまだ緊急地震速報も無かったと思います。身体前身に冷や汗をかいて「ドンッ」という衝撃と共に立っていられないほど揺れて「止まってくれー」と叫びました。今でも覚えています。

仙台で1か月の復興が進んでいたのに、またライフラインが破損したりするなど、最悪の余震となりました。幸い、私はその時は夜中の停電、翌日の停電などいろいろありましたが、大きな被害も無く無事に大阪に帰ることができました。

かつて経験したことの無い揺れ

話を戻して2024.01.01。

初詣を済ませて家族でこたつに入って団らん中。

金沢市では震度3程度の地震がありました。

石川県はもともと地震の多いエリアではないので「珍しいな」と思ったのが第一印象でした。

母はいつも地震に敏感なので、すぐにTVを付けてNHKへ(速報はいつもNHKがダントツで早い)

NHKでは「震源地は石川県珠洲市付近です。震度5。津波に注意してください。」と画面が切り替わりました。

つい先日も被害を受けた珠洲か・・・と話していた矢先、携帯で大きなアラームが鳴りテレビでも同じようなアラームが。

「大きな地震が来ます!」というアナウンサーの発生と同時に

「ドンっ」という衝撃が来て「ゴゴゴゴゴゴゴ」と大きな揺れがやってきました。

同じテレビ画面の先も連動して揺れているのがわかりました。

そして画面越しに家が崩れ砂塵が上がっている・・・町のあちこちで煙が立ち「嘘だ、映画か?」本当にそう思いました。

テレビが音を立てて揺れ、家のものが倒れ、大きな音を立てて揺れました。

家族全員が全身硬直になり、とにかく揺れが収まるのを待ちました。

みんな速報のテレビを見るために1階のコタツ付近に集まっていたので、今思えば良い逃げ方では無かったかもしれません。でも、それくらい余震から本震は一瞬にしてやってきました。

前震情報の「金沢で震度3、能登で震度5」という言葉が脳裏にパッと浮かびました。

そう、金沢で明らかにさっきよりも大きい揺れ。震度5を超えている、能登はどうなってしまうんだ・・・と一瞬にして希望を失われたような気持ちになりました。

・・・

揺れがおさまり、その後はテレビでも報道されている通り、地獄絵図を目の当たりにし、その後何度も起こる余震にただ怯えるばかりでした。

我が家は数年前に大規模リフォームと耐震工事をしていたこともあり(元は築60年くらい)なんとか被害を最小限にとどめる事が出来ました。リフォームしていなかったと思うと、本当に恐ろしいです。

沢山の想いでの場所。何も出来ない日々。

能登半島は金沢市民だけでなく、石川県民が皆観光地として訪れたり小学校の遠足や合宿、遠征先、キャンプ、温泉など沢山の楽しい思い出を作ってくれました。

小学校6年生の時、初めて輪島の朝市に。

みんなでお土産を買い、私は提灯を買った記憶があります。

みんなで海でカヌー体験もしてカレーを作ったり。

珠洲のキャンプ場で学童野球チームでキャンプしたり。

能登町の九十九湾にあるキャンプ場には家族で何度も行った。管理人のおじさんと遊ぶのが楽しくて、キャンプというより毎回おじさんに会いに行った感じでした。ビーチボールバレーを何度も何度もやってくれたのを今でも覚えています。

おじさんは元気だろうか。被害に会っていないだろうか。

中学、高校と必ず能登での試合や思い出が。

能登に住む、能登出身の友達はみんな元気だろうか。

いろいろな感情が一瞬にして蘇ってきて、それに何も出来ない自分があまりにも空しくて・・・

今はただやれることをやろう。

と、Yahoo!募金と三木市長に須坂市としての支援の相談をさせて頂きました。

もっと自分に出来ることがある。その可能性を信じている。

市や大きな団体に頼るのももちろんですが

私が私として出来る最大のお返し、私を育ててくれた故郷石川へのお返しは何だろう。

ずっと考えていました。

本当に本当に悔しくて、報道を見ると涙が出ることを通り越して、とにかく辛いし悔しかった。

現地へ行くのは今はまだ待つしかない。

でも、それ以外で出来る事。

今、ぼんやりとですが自分がやるべきこと故郷へやりたいことが見えてきました。まだガチっとした外枠は固まっていないので、また決まったらここで書きたいと思います。

もっともっと貢献できることがあると今は自分を強く信じています。

最後に

自分は今までいろんな場所に転勤して、いろんな場所で生活してきたけど

こんなに故郷が好きだったんだなと今改めて感じています。

ごめん石川県。ごめんね能登半島。

ずっとその地で育てられたからこそ、今の自分があることを忘れてました。

悔しい思いを今は胸にひめて自分のやるべきことに向かって邁進したいと思います。

ずっと私のことを心配して、私と一緒に石川県のためにいろいろやりたいんだ!

と言ってくれる須坂の人も沢山居て、それも本当に嬉しいです。

そんな須坂市に来れたことを誇りに思います。

・・・

まだしばらく気持ちは落ち着きませんが…今は自分に出来ることを毎日精一杯、普通の生活を。

次に被災地へ行く時のためにしっかりと体力を温存して、来る日に備えたいと思います。

ダラダラととりとめのない話を感情的に書いてしまいました。

来週からは活動も再始動しますので、その時にはまた明るいブログが書ければ良いかなと思っています!

須坂も雪が降ってきました。

寒いので体調にはくれぐれもご注意ください。

そして1日も早い復興を。

須坂より石川に愛を込めて。

のーす

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