地域おこし協力隊の野澤です。
地域おこし協力隊として須坂市に移住して今月末でちょうど3年になり、地域おこし協力隊の任期満了となるため卒業します。
思い返すとあっという間に過ぎた3年間でしたが、沢山の出会いとご縁を頂いて今日があります。
今週と次回の2回に分けて協力隊での出来事を振り返りながら、書き綴っていきます。
多分、長くなるので前編と後編に分けました笑
何かしたいけど何をしたら良いか分からなかった社会人時代
時は一気に遡り3年6ヶ月前、コロナ禍で製造業なのにリモート勤務が続き、やりたいことが出来ず「人生このままで良いのか?」と悶々としていた時に転職サイトから地方移住サイトへ飛び、「楽園信州」のホームページの存在を知り、登山が好きだったので長野県への移住を本格的に考え始めました。
「でも長野県で何をしたら良い?社会人はもうやりたくない、自営業で自由に仕事がしたい!」などと考えていた時代が僕にもありました。
そこで目に留まった須坂市の地域おこし協力隊制度「地域おこし協議会」の取り組みが目に留まり、それまでは「協力隊って3年後に卒業したら何するの(どんな事業になる)?」って感じで卒業後のイメージが全く湧かなくて魅力を感じてませんでしたが、地域おこし協議会の取り組みを見て任期中から卒業後までのイメージがすごく沸いてきて「協力隊は起業して、3年後はそれをベースに事業を行っていくのか!」とワクワクしました。
それを念頭に他の地域の協力隊の募集要項を見ると、確かに起業するような文言が書いてあることが分かるようになったものの、やはり他地域には興味が湧かず、須坂市のことも初めて知ったので即応募、そして採用となり2022年10月に須坂市地域おこし協力隊として活動することになったのです。
豊丘地域のみなさんと出会えた
協力隊に着任して間も無く、協力隊OBの早川さんの同行でソルガム収穫の手伝いで豊丘地域にお邪魔しました。
そこでは地域の方たちが暖かく接してくれて、今までの社会人時代の擦れてギザギザになったハートに優しさが沁みました。
そこでたまたまご縁を頂いて「農業小学校」のお手伝いをすることになりました。
それが協力隊として最初の実績となりました。
農業小学校とは子供達に農業を体験してもらうことで畑作りから収穫、そして食事までの行程を体験してもらうことで自然と食について学んで貰うというもの。
先生は豊丘地域の方が中心となり農業を教える「農家先生」、郷土料理を中心としたおやつを作る「女先生」がいて、私は女先生のお手伝いをしていました。
残念ながら、農業小学校は2年前を最後に19年の幕を閉じてしまいましたが、協力隊になって自然と触れ合う機会を頂けてとても楽しい日々を過ごさせて頂きました。

芋煮と出会えた
協力隊になってすぐに最も取り組んだことは、忘れもしない「芋煮」です笑

芋兄(のーす)の芋煮への情熱に押されて2人で芋煮を作り、沢山のイベントに参加しました。
この時、5週連続で週末に芋煮を出店するという記録を打ち出し「芋煮を作るために協力隊になったのか!?」と思うほど、流石にやり過ぎたと感じました笑
でも芋煮が繋いでくれた人脈も沢山出来ました。
芋煮のおかげでイベント出店にも慣れたし、人と話すコミュニケーション能力が物凄く向上しました。
キャンプ場経営に出会えた
協力隊になる前となった直後は「土地の広い古民家(出来れば裏山付き)を探して古民家を整備してキャンプ場を作ろう!」と考えていました。
なので初めの半年は早川さんの運営するキャンプ場の手伝いをしていたので、「薪棚を作りたい!」と言ったら、のーすが貴重な時間を割いて手伝ってくれました!

軽トラを購入して、地図と睨めっこしながら須坂の林道を走り回りました笑
そして良い土地を見つけても市街化調整区域だったり、土地の登記の種目が果樹だったりして、キャンプ場として活用出来る土地が無いことが分かり、挫折しました。
まさか2年後に森林レンタルサービスforentaに出会い、キャンプ場運営をすることになるとはこの時はもちろん夢にも思わず笑
生ハムに出会えた
春から峰の原高原の元ペンションに移住することが決まり、とはいえ高原で何が出来るのか?と悶々としていたとき。
ふと夕食を作りながら見ていたテレビで「標高1500mの元ペンションで作る特産品」の特集が流れました。
作っていた夕食はそっちのけでテレビに齧り付いたのは人生で初の経験でした。
そこで見たのがジャンボン・ド・ヒメキの藤原さんの生ハム作りだったのです。

「峰の原高原で出来ることはこれだ!」と感じて急いで色々とメモをしてワクワクとドキドキが止まりませんでした。
でもチキンな私はすぐには藤原さんに連絡出来ず(年末で忙しいだろうと)年明けに人生初のDMを送りました。
ワークショップで忙しいであろう時に「いつでも話聞きにおいで」と仰って頂き、生ハムづくりのワークショップに参加しながら生ハム作りの話を中心に色々なことを聞きました。
そして、「峰の原高原でも作りたい!」との想いが強くなり、藤原さんのお手伝いをさせて頂きながら生ハム作りの勉強をする日々が始まりました。
これがAs Neco Hamの原点です。
協力隊になってすぐに生ハムに出会えて良かった。これは本当に偶然と運命が重なったとしか思えない僥倖でした。
峰の原高原に出会えた
2023年4月、塩川のアパートから峰の原高原の元ペンションに移住しました。
人生初の本格的な田舎暮らし。そして濃厚な人間関係。
これまで都会ぐらしで隣人さえ誰が住んでるか分からない(興味無かった)状態から隣人はもちろん、地域の人たちと交流しながら暮らすという生活が始まりました。
まずはご近所さんに菓子折りを持って行ってご挨拶。そして自治会へ入区。
区民になって初めての一斉清掃で峰の原区の皆さんと初対面。ものすごく緊張。
一緒に作業することで徐々に打ち解ける自分。この時は誰が誰かほぼ分かりませんでしたが、今では写真を見返すと大体誰か分かるほど顔と名前が一致するまで覚えました。

そして高原暮らしが慣れるにつれて地域の皆さんと打ち解ける事が出来て、「今夜ウチでみんな集まって食事会するから野澤くんもおいでよ」と声をかけて頂くことも多々。
それが嬉しくて、料理も美味しいし、これまでの生活とは180度変わった暮らし。
みんな凄く良い人たちだし、すれ違うときに他愛のない世間話も楽しく、高原暮らしも好きになり「峰の原高原でずっと暮らしたい」と考え始めました。
森林サービス産業に出会えた
協力隊になって2週間ほど経過した序盤。古城荘で行われた「森林活用している協力隊交流会」のような名称の研修に参加し、よく分からないまま「森林活用した取り組みがあるんだなー」くらいに考えていました。まさか自分がその取り組みを推進することになるとは、この時夢にも思わず笑
後日「森林サービス産業やってみない」と打診があり、ちょうどその時はキャンプ場運営の夢が絶たれたと思っていたので、自然つながりで「やってみよう!」と奮い立ち手を上げました。
と1行で書くと簡単に見えますが、半年かかっており、打ち合わせを重ねること多数。なんとかスタートする事が出来たのです。
そして地域団体(協議会)を設立し、補助金申請のための書類を提出し、事業がスタートしたのです。

それからかなりの時間を費やして様々なイベントを開催しました。
森林サービス産業を通じて須坂市在住の方と知り合い、峰の原高原を活動拠点にして頂きながら関係人口の創出に取り組んでいます。
実際にやってみて森林を活用した事業で収益を上げるためには長い年月が必要だけど、「出来ることからコツコツ始めてみよう」と思い、これからも少しづつ取り組んでいきたいと考えています。
ペチカストーブに出会えた
森林を活用した協力隊つながりの研修で木曽の協力隊と出会い、ペチカストーブの存在を知りました。
木曽までペチカストーブを見にいき、ワークショップにも参加して、広い空間を温められる能力と見た目に惚れました。

まさかこの時は自分の拠点「Forest Base」でもペチカストーブを導入するため、クラウドファンディングまで挑戦するとは思いもしませんでしたが、森林サービス産業が繋いでくれたご縁が活きてきたことを実感しました。
ペチカストーブの完成は協力隊卒業後になりますが、何らかの形で皆さんにお伝えしていきたいと考えています。
続きは「後編」で!
今回は協力隊になった2022年10月から、ちょうど任期の半分になった2023年4月までの思い出を振り返ってみました。
最初の1年半の間に色々な出会いがあり、そこから繋がっていって今の自分があるのだと思います。
人と事が繋ぐご縁のおかげでMinenohara Craftsという事業が出来ているのだと実感しています。
後編はまた来週、協力隊としての最後のブログで公開予定です!お楽しみに!!


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