地域おこし協力隊の活動とは関係なく、仕事を休んで能登半島の珠洲市にある「寺家」でボランティアをしてきました。
なぜボランティアに行こうと思ったのか
東日本大震災があったときは高校を卒業し浪人が決まったときでした。テレビを付けると津波のニュースが流れており、画面の向こう側の出来事に対して、何もできていない自分がいました。
大学生になり、東北へボランティアに行きましたが、畑の綿花を収穫するという活動で現地のことを何もしれずに終わったことを覚えています。
1月1日に地震があったときに思ったことは、今の自分ならボランティアに行ける。ということでした。協力隊を通してボランティアに役立ちそうな「解体」「林業」「土木」を経験してしてきました。あとは時期をみて能登半島に行こうと思うようになりました。
スケジュール
2024年3月25日〜27日(3日間)
3月25日 0:15 小川村 出発
7:00 珠洲市 到着
3月26日
3月27日 13:00 珠洲市 出発
22:00 須坂市 到着
日中の作業は、7時〜16時でした。
能登半島の現状
能登半島を通ったのは、平日の早朝ということもあり渋滞もなく珠洲市につくことができました。
道路状況は、崖崩れ以外の補修はほとんど終わってる様に見えました。橋の段差はひどくて3〜5cmほど高さがありました。それを車のタイヤがパンクしないように段差部分をアスファルトで傾斜をつけていました。それでも、軽トラで通過するときはバウンドが酷かったです。
珠洲市でも、コンビニ、ガソリンスタンド、コメリなどは時短営業でしたがやっていました。
住宅は、珠洲市内も1階が倒壊している建物が目立ちました。その殆どが瓦屋根の古民家です。倒壊していなくても、柱が歪んで傾いていたり、瓦がところどころ剥がれている住居が目立ちました。
特に津波の被害が大きい寺家では、海側の民家の殆どは半壊か全壊しており、その後ろにある民家でさえ津波の影響で1階は浸水しており酷い状況でした。
最後に
仲間4人で個人的に能登半島のボランティアに行って来ました。交通費も食費も全て実費で行きました。
現地の方と話した限り、とにかく人手が足りないということでした。私達は4人だけでしたが、倒壊した2階建ての小屋の解体を3日で終わらせることができました。人手があれば少しずつだけど復興は進むのに圧倒的に人がいないといった現状です。どうすればいいのでしょうか?みんながみんな、仕事を休んで行けるわけではないので。
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