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2022.12.29 ROMANTIC SUZAKA

THE NORTH DIARY~須坂暮らし日記~

須坂市地域おこし協力隊の北です。

振り返りはほどほどに、未来のことを考えたいと思っていますが振り返りもとても大切なので、一旦足を止めます。というわけで、ブログ書きました。大長編になりました。

ドラえもん大長編ではジャイアンがいつも「いいやつ」になります。

それと同じようにこの大長編では私が・・・ちょっと、きっと盛ってます。

ではどうぞ!読みだすと止まらない!?酒の肴に読んで下さい。

CLOCKWORK RUNNERS 川崎時代

午前6時の目覚めと共に、今日も始まる終わりのない悪夢・・・

2022年が明けた時、私は川崎市で東京に通う会社員として生活しており、自分で言うのもなんですがずっと営業成績も良かったし、お客さんとも上手くやれていました。このままやっていれば出世もするのかなーと。

でも、なんだか人の評価(社内)を気にする生活に疲れてきて。なんでこんなに自分を曲げたり、ぶつかるのを避けているんだろう。そんな思いが強くなっていたんです。まあ結局、貫けなかったのはは自分の弱さなんですが。

後輩部下たちの指導もありましたし、”辞める”というワードはどこか遠いもののように感じていました。

”評価”とはなんだ。誰のためにやっているのか。お客さんが喜んでくれるなら、社内の評価なんてどうだっていいじゃない、営業成績もいいんだし。でも早く昇進したい・・・

って毎日毎日、来る日も来る日も考えていました。辛気臭い(笑)

そんな寒い日(一応川崎では5℃くらいでも超寒い)にコロナに感染してしまったのです。

毎日電車通勤していた私に感染経路なんてわかりません。

そこで私は隔離生活を強いられるのです。

No More Lise 1LDK幽閉

私の家は川崎市の「武蔵小杉」というタワマン街にありました。

自宅は武蔵小杉駅から15分。タワマンを見上げ、奴らの作ったビル風を猛烈に浴びながら通過し、タワマンの1階にも満たない高さ(タワマンはだいたい1、2階が吹きぬけのエントランス)の2階の築50年1LDK(38㎡)に住み、Gも出たし、地震の時はめっちゃ揺れました(笑)

そんなゴーストマンションに当時会社で規定されたコロナ感染者は14日間隔離と決められていたので、Gマンションに幽閉されることになりました。

1LDKの息苦しさよ・・・窓を開けてもコンクリートジャングル+空気悪いで本当に療養になるのか?と疑問が湧きに沸きました。

そんな時、前々から考えていた移住・転職が頭に浮かんだのです。

会社は自分が居なくたって2週間しっかり回ったし、なんでこんな狭い部屋に13万円も家賃払って住んでいるんだろう。自分が自分らしくって考えた時に「ここじゃない」って答えがチラチラと浮かんできたのです。もう結婚もしてるし、辞めるなんてとんでもない、会社でのほほんとやってく選択をすればいい。狂犬をやめて、忠犬になればいいじゃないか・・・かき消そうとすればするほど移住・転職への思いは強くなり、回復後、まず銀座の移住相談センターへ行き、百閒は一見にしかず、次の週にはすぐに長野へ行くことを決めたのです。

移住前に何度も相談へ。このパーカーに見覚えはないだろうか(奥の会社員はみんな大好きあの男)

RAMBLING MAN たまたまの「須坂」

本当は私の第一候補は松本だったのです。そして次に上田、その次に高山村(笑)

Sの文字は当時1つもありませんでした(笑)

1日目は松本のビジネスホテルを取り、2日目の小布施でホテルを探しました。しかしホテルが無い。

さらに言うと、妻が長野に踏み入れるのが初めてだったので善光寺も小布施も連れていきたいなーと思い、なんとなくその中間付近で見つけたのがゲストハウス蔵」でした。

私はゲストハウスでキラキラできるほどパーリーな人間ではないので、泊まったこともなく、そもそもそういう偏見を抱いていて、宿泊当日も別館にしてもらう徹底ぶりでパリピを避けました(笑)

でも実際には・・・

ゲストハウスに集まる人はむしろちょっと自分と同じ匂いがする人、自然な人付き合いを探している人が多く、たぶん今までの旅行で一番他人と喋ったと思います。そもそも旅行で家族や友達以外と喋りまくることはないので(笑)

そこで出会ったオーナー、スタッフ、当時宿泊に来た人、みんなにお世話になり「みのり」でベロンベロンになり、ゲストハウスで2次会をして語りまくりました。あの人達は元気なのだろうか。

「あぁ。。。たぶんこういうことがしたかったんだな。」

その時に隣に居た妻もお酒で顔を赤らめながらも楽しそうにしていました。

やっとこの時に自分の頭の中に「S」の文字がよぎり・・・(笑)

走り出さなきゃ始まらないってことですね。

チャリンコ暴走族として須坂に降り立った

CRASH COMPLEXION 仕事の不安を打ち破れ

そんなこんなでSUZAKAもええやん。という気持ちになったけど、どうにも仕事が・・・今の年収は全国平均より上だし、不満もない、ましてや仕事自体は大好きだし、同じ営業職をやりたい。と考えていました。でも・・・きっとまた人の下で働けば同じような悩みをループすることになる。という悩みも。そんな時。。。

起業」

その言葉が頭をよぎりました。そういえばゲストハウス蔵で「地域おこし協力隊」って働き方あるでーと聞いていたな・・・調べてみたところ「起業準備をしながら地域密着の仕事ができる」という本当のような嘘のような甘い言葉が躍っていたので、私は蜂のように吸い寄せられ、いつしか地域おこし協力隊として働くことを1番に考えていました。

これで手に職のないコンプレックスが解消できる・・・吉川と布袋が殴り合い解散したあの日から30年。ついに私はコンプレックスを手放す日がやってきたのだと。

CRY FOR LOVE 前職との別れ

私は前職が好きだった。同じ仕事を14年務め、最初は嫌いだった仕事も辛かった日々を乗り越え、みんながコンパや飲み会に明け暮れていた時も仕事をしまくっていた。社畜といより「俺んち会社だけど何?」って感じでした(笑)酔っていないのに帰った記憶があいまいで気が付いたらもう朝会社のロッカーに立っているんです。本当に疲れているときってこういう感覚で、あれ?もう会社にいる・・・というそんな状態がほとんどでした。

たぶん「好き」っていうよりも、誰よりもやってきた「自信」と「負けるか!」って気持ちだったのかなと今では思います。

辞めるときは上層部が一斉に冷たくなり、社会の厳しさを知りました(笑)最後には頑張れと言ってくれましたが。最後まで一言も話してくれない人もいました。自分も裏切ってしまったという思いも強く、なんだかすっきりしない気持ちでした。

辞める直前に工場に行った時、ついつい製造現場に足が向いてしまい今まで売ってきた機械を眺めていました。絶対に泣かないと決めていたのに、見たら涙が出てしまいました。そんな時、役員の人に会い「辞めやがって!泣きたいのは俺だぞ!」って怒られてしまいました(笑)でも嬉しかった。

そして22年8月1日、地域おこし協力隊としての生活がスタートしました。

私の心に灯ったと思わしき灯り(撮影:ゲストハウス蔵)

PRETTY DOLL わかっちゃいないね何もかもが

別に最初からうまくいくとも思っていなかったし、甘い考えをしていたとも思っていません。むしろ厳しい選択をしたと思いました。だからこそ、皆さんに”発信”し続けることで自分へのプレッシャーにもなるし、それが活動に繋がると思っています。それ故、こんなちょっと凝ったアホウなブログも書いています(笑)

でも、やっぱり現実は厳しい。

いきなり来たばかりの私が当然起業なんてできるはずもなく、そもそも起業のセンスすらないのではないかと疑問を抱く日々。

そして、ここで出会った経営者や友達、目標が明確な隊員、みんなに嫉妬した。そしてみんなに置いていかれる夢を何度も見ました。出た、メンタル弱者(笑)

でも、そんな出会いは悪いことばかりじゃない。

田舎暮らしを楽しさに変えて慎ましく生きる人、「お金」だけじゃない価値を感じて生きることを選択する人。田舎でもしっかりマネタイズする人。沢山の人に会いました。

とある日は「お前の考えは誰かの二番煎じで面白くないんだよ!」(本当はもっと優しい言い方)と言われ、フニャンフニャンになった時もあった。でも私はそんな言葉を言える人を心から尊敬している。というか、めっちゃ嬉しかった。そこに愛を感じたから(勘違いかもw)きっと同じように悩んできたからこそ、その立場に立って言えるのかな・・・

私はこのたった5か月で今まで味わったことのない挫折や出会いをしてきました。

ここ須坂にはそんな「人」という宝が沢山あります。

私は入隊当初、グーライトさんの取材で偉そうに「須坂の宝を見つけてPRしたい」と言っていました。今VTRを見るだけでゾワゾワして首がかゆくなる(笑)

世にも不気味なVTR。恥ずかしいですが、私とはこういう人間なので仕方がありません(笑)

その時は宝は蔵かなー桃かなーりんごかなーとか考えていたなと思います(笑)

見つけたかはわからないけど、今はその宝は「人」なんだと思う。

私を成長させてくれた、この人たちみんなが宝物なんだと思う(いやお前、成長してないやん!とか言わないでね笑)

2人のAnother Twilight 探しに行こうよ

そしてこの場所に送り出してくれた妻には本当に感謝をしています(ゴロニャン作戦ではありませんよ)

私よりも不安なのは本当は妻なんだろうな。と思うときもあるけど

「まあ、何とかなるっしょ。みんな生きてるんだから(笑)」

と言ってくれて結構助かっています。

このブログの読者さんならご存じ、私は根暗で恨み節で陰気で粘着質な男なので妻の明るさには本当に助けられています。

そんな私ですが2022年を振り返りよく頑張ったなーと思っています(笑)

ここら辺で褒めておかないとブログが終わらない気がしたので(笑)

まだまだ何も成し遂げていないし、何者でもない私です。

来年も須坂のどこかでヒョコっと現れると思いますので、その時はどうぞ優しく声をかけてください。

そうしないと一生根に持つかもしれませんよ(笑)

のーす

つまくんと移住前に墨坂神社へ。まさかここでお祭りのスタッフをすることになるとは思ってもいなかった・・・

2022年お世話になりました。

2023年度もどうぞよろしくお願いいたします。

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