HPレイアウト変更しました@2023.8.3_野澤隊員

今日は母の日!人生での母の存在を振り返る。

須坂市地域おこし協力隊の北です。

今日はゆるゆるブログです。

みなさん、母の日です。

この世に生まれて、このようにブログを書いていること、自分がこの地で生きる決断をしたことに、生きる事に意味を持たせてくれたことに感謝せねば・・・と思いながら

何も出来ていません。

この場を借りて感謝を伝えたいと思います。

母との思い出

こんな書き方してますが、母は元気にやってます(笑)

私の母は身長が145㎝くらいですが、運動神経抜群、手先は器用で料理上手なパワフルな母です。

青森県生まれ、15歳まで青森県で育ち、当時貧しかった家庭で普通に高校には行けなかったので定時制で働ける学校を選び、石川県の高校へ来たことで石川県の生活がスタートしました。

15歳で全寮制で定時制高校に行くなんて、なかなか凄い選択肢だな。。。と思います。

その後、保育士を経て父と出会い私が生まれました。

その後もずっと石川県で生活しています。

スポーツを教えてくれたのは母

野球、スキーなどなどスポーツを教えてくれたのはいつも母でした。

父はスキーで止まれず、何度も雪山に突っ込んでいく姿を見ましたwww

なので、ゴンドラに乗って滑るときもいつも付き添いは母でした。

公園へ行けばキャッチボールをするとき、私が幼少期はピッチャーだったのでキャッチャーをやってくれたりもしました。今思えば、母親がキャッチャーしているなんてなかなか見る事の出来ない風景ですよね(笑)

そんな小さくパワフルな母が私はとても自慢でした。

ある日、母の力を超えた

そんな幼少期を過ごしながら、小学校5年生くらいで母の身長を追い越し、力もどんどんと強くなり母と明らかに力の差が見えてきました。

6年生の頃にはキャッチボールをしても母が怖がるほどのボールを投げ、突き指を何度もさせていました。

悪いことすれば頭を叩かれたり、怒られることもあったけど、ある日母から「もうアンタとケンカしても私には勝ち目は無い。だから自分で考えてちゃんと生きてくれ。」と言われました。

自分でも薄々気が付いていたのですがこの時にはっきりと「何かあったら母を守らなければ」と思ったのを今でも覚えています。それまでは大きかった母が急に小さな母に見えたので、その言葉も鮮明に覚えています。

きっと子供にはいつか必ずやってくるものなのかもしれません。

いつのまにか母を超えてしまい、母を守らなければという気持ちに替わるあの日が。

父よりも確実に早く訪れるこの気持ち。

男子の方が力を超えるのも早いから、気になるのかもしれません。

そして

だから男は母ちゃんが好きなのかもしれません(笑)

その後も私の人生でいろいろと影響を与えてきたことは書くまでもありません。

自分が元気でいることが唯一の恩返し

今は故郷金沢市を離れて、私はここ須坂で生活をしています。

ここまで育ててもらったことを思うと、なんだか申し訳ない気持ちになります。

でも、今、親になり少しだけ気持ちが変わったことがあります。

それは子が自分で選ぶ道で「幸せ」でいて欲しい!という親の気持ちを少しわかってきたことです。

だから自分の選択を優先してほしいし、その選択が原因で苦しいことがあっても何とか乗り越えてほしい。そして救いを求めてくればいつでも助けるし、どんな力にもなりたい。

私がこの地で与えられた試練や、苦難も自分の力で乗り越え、生きていくことで母に安心してもらえるのではないかなと思うのです。そして辛い時は頼る・・・そんな甘ちゃんかもしれないけど、ガキんちょの頃の弱い自分を見せる事も時にはいいのかなと・・・

都合のいい考えかもしれませんね(笑)

まだ間に合う!今からでも感謝の気持ちを伝えましょう!

まだ母に感謝を伝えられてない読者の皆様。

明日でも良いです。

明後日でもいいです。

お母さんに感謝を伝えましょう。

この世に私を生んでくれて、幸せや喜びを感じさせてくれたことに!!!!

身体は大きく超えたかもしれないけど、精神的にはまだまだ超えられておりません。

これからも母への尊敬は変わりません。

では。

肉フェスタで会いましょうwww

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のーす

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