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【レポート】唯一無二のアートリトリート「高原表現合宿」から見えたもの:“ウェルビーイング”ではなく“ビーイング”を考える、終わりのない旅のはじまり

Art in Suzaka ~これもアートなんかやぁ~
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2泊3日のアートリトリートプログラム in 峰の原高原

2泊3日の「高原表現合宿」。
信州・峰の原高原に、直島在住のアーティスト下道基行氏をお招きし、3日間「表現」を通して何かが起きる…!という、始まるまで(始まってからも)未知のアートプロジェクトに、県内外から猛者達が集ってくださいました。

国立新美術館のユースプロジェクト「新美塾!」に携わらせていただいたご縁で、またぜひご一緒できればとお声かけさせていただいたところから始まった今回の企画。
峰の原高原のペンションスタートラインさんにも多大なご協力をいただき、昨年から続けてきたアートプロジェクト「ハロー地球」の“番外編”として開催することに。

世の中に溢れ出している「ウェルビーイング」にちょっぴり反抗して、「ビーイング」ってそもそもなんだっけ?そんなことを感じられたらいいなという私のぼやきもありつつ、とはいえとにかく集った皆さんに合わせてセッションのような合宿にして行こうというやくざな下道スピリットに導かれるまま、当日を迎え…。

霧に包まれた高原で、描いたり、描かなかったり、何もしないをしたりする中で、2日目の中盤にいよいよメインミッション発表:「100年後の自画像」にまつわる物語を書くというミッションに挑むことに。小6〜40代まで、それぞれが生きてきた時間のその先にある、きっと誰もいない世界を想像しながら、各々の物語に仕立てていきます。

一緒に食べて、過ごして、の只中で、それぞれが自分の想像の世界に入り込み、庭のあちこちで執筆に励んでいる姿は、なんともいえない不思議な合宿の有り様を湛えていました。

ミッションの他にも、高原散策や朝の木漏れ日ヨガ、夜の焚き火や星空観察、山の幸満載のお食事など、高原ならではの時間を過ごしながら、あっという間に過ぎていく時に驚いている間に、いよいよ3日目。完成した作品を製本していく朝のペンションは、まるで即席の編集部。表紙には、“ノールック”で手元を見ずに描いたそれぞれの自画像を挿入し、全員分の文章を合わせて1冊のZINEにしていきます。

合宿の締めくくりは、カフェ&バーCHICHIPIさんで作品の鑑賞を。静かに作品を読み合い、確かに現れる筆者の生きてきた時間やその片鱗を、物語の中に感じる、共犯めいた時間。各作品から垣間見える、その人自身の「ビーイング」=生の在り方のようなものを、作品を通して感じる時間となりました。

表現を通して交差する、それぞれの人生の物語

年齢も職業も住む場所も、はたまた“合宿”に来た目的も異なる皆さんとつくりあげた3日間。事前の告知でも、何をする合宿なのかわからない、謎プログラム。しかも2泊3日、山の中。

そんな未知の“合宿”に参加くださったお一人が、「自分の外の認識を広げているはずが、いつの間にか自分の核心に思考が戻ってくるような不思議な時間でした」と言ってくださいました。

自分の過去や傾向などを正面から深掘りするのではなく、身の回りの世界、あるいは自分ではない誰かをつぶさに観察することで、浮き上がってくる、自分の残像。
さらに、「100年後の自画像」にまつわる物語を紡ぐことで現れる、自分という存在が既にない世界の形。
一見不要な迂回路を通ることで、今という時間を生きている自分の核のような何かに帰ってくる。そんな不思議な場が生まれていたのかもしれません。

“合宿長”の下道基行さんが紐解いてくださった、現代アートやコンセプチュアルアートの先人達が積み重ねてきた様々な視点。自分から距離を取ることで、逆に無意識の自己の輪郭が浮き彫りになることを実感する中、集ったみなさんの個性あふれる人間性が垣間見える場面がいくつもあり、その場限りの「セッション」のような時間が生まれたのだと感じています。

わかりやすく、効果も証明されているようなプログラムと逆行するように、その場で実験的に展開されていった今回の企画。それぞれの生きてきた時間が、物語を通して交差する場が生まれたことに感慨深さを感じながら、その意味や意義以上に、表現することの奥深さ、誰かの物語に触れることのかけがえのなさのようなものを、身体いっぱいで実感する時間でした。

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