前編に続いて、今週は後編をお届けです🐈
美術館時代から、地域で取り組むことができたらと思っていた、長期のアートプロジェクトを終えて感じていること。それは、「ハロー地球」も「スザカ写真部」も、それぞれがクリエイティブな表現や対話を媒介としたコミュニティ形成の場となり、「わたし」という閉じられた世界に、新たな接続の窓が開けたということです。普段は出会わない人と会ったり、それぞれの生きてきた時間を垣間見るような対話をしたり。一緒に手を動かして、言葉にはならない部分の思考や感情を共有したり。そのような、一見わかりやすくはないコミュニケーションの中に、ふと、それまで気づかなかった自身の内奥にある何かに気付いたり、喉につかえていたものが見えてきたり、あるいはこれまでと異なる時間軸で自分の生きている時間を捉えるようになったり。そういったことが、確かに起きていたことを、実感しています。
でも、それは目で見えるものでもないし、お腹がいっぱいになるものでもない。誰かにすぐ言葉で伝えられるようなことでも、説明だけで再現できるものでもなかったりします。であるからこそ、ご参加くださった一人一人にとって、かけがえのない時間にもなりうると思いながら、この「わかりづらいこと」を続けています。
じゃあその「わかりづらいこと」、続けていて意味あるの?地域の活性化になっているの?その問いには、やっぱり自信を持って頷けると思っています。短期的に結果が出たり、目で見てすぐわかるようなものに比べると、その効果は理解されにくいことも想像に難くありませんが、アートプロジェクトのような、言わば「余分に見えるもの」の中で生まれる「関係性のゆらぎ」は、地域に豊かさを生むと実感しているからです。
今回のハロー地球で、特に印象深かったのは、世代間交流の中で交わされた、無意識の振る舞いに関する対話。60代の女性の方が、自分がいかに緊張しながら生きてきたかということを語ってくださいました。人からの評価や目線を、無意識に内在化してしまっていたと。また40代の方からは、父親との関係性にどれだけ縛られていたか、そこに対してこれからどうしていきたいかという話も。毎回、様々なトピックを介して対話や表現をすることで、自分自身にとって本質的に価値のあること、差し迫っていることが垣間見え、深い部分での語らいの場を持つことができました。
そんなことを振り返りながら、改めて思うのは、個々人が自身とのつながりを捉え直すような場を設けることが、地域活性化の一側面でもあるのではないかということです。「自分にとって本当に大切なものって何だったけ?」と、そんなことを考えられるような機会があること、そのような本質的な問いを通して、誰かと出会えること。そんな場をつくっていますし、これからもつくっていければと思っています。
とは言いつつも、このような言語化しづらいことを一生懸命言葉にして、意味あるのかな、誰かに伝わってるのかな、と寂しい気持ちにもよくなっている、山際です。小さな一歩一歩ですが、意味のある一歩一歩だと思ってやっています。そんな挑戦の機会を与えてくれている須坂、ありがとう!!!を叫んで、締めくくりたいと思います…。乾杯!
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