協議会メンバー更新しました@2024.8.13_野澤隊員

小俣ペンション開業から49年、これから繋いでいく者として出来ること

野澤の煌めき高原生活

須坂市地域おこし協力隊の野澤です。

昨日まで暑かったと思ったら、今日は氷点下の冷え込みになり積雪がありました。この2日間の気温差は20℃になります。これは体調不良待った無し…

今回は暖かい陽気の時に起きた一つの出来ことをご報告したいと思います。

小俣ペンション開業から今年で49年

突然ですが、私の今住んでいる元ペンションはその昔、49年前の1975年に「小俣ペンション」として開業しました。

その後、「ペンションヨッホー」と改名して、オーナーが代わり、別荘になったり、地域おこし協力隊の活用拠点となったりしました。

現在は私が5代目のオーナーとなるため、協力隊卒業後を見据えて「生ハム工房」と「簡易宿所(ゲストハウス)」として活用すべく、融資やらリノベやら動いています。

その時は突然に

峰の原高原に移住して1年と6ヶ月が経ちました。

移住してすぐに区の役員に抜擢いただき、役員の活動を通じて多くの区民の方と交流することが出来ています。

地域の方と交流しつつ、協力隊としても活動していく中で徐々に横の繋がりが出来てきて嬉しく感じる今日この頃です。

庭で作業すると、同じく庭で作業しているご近所さんとの雑談も弾み高原生活が楽しくなってきました。

そんな中、この時期にしては異様に暖かな陽気の日に珍しく庭でチェーンソーの目立てをしていると、その時は突然訪れました。

一台の車がうちの前でピタッと止まったのです。

でもこれはいつもよくある光景で、何故ならゴルフ場へ行く通りを間違えて入ってきた車がドン付きまで行って間違いに気づき、地図を見直すため停車するのです。

ということで、マジマジと見るのも申し訳ないので、目立てに没頭していると運転手の方が降りてきて近づいてくるではありませんか!?

「ゴルフ場は何処ですか?」と聞かれると思っていたのですが(実際に聞かれることあり)、第一声は想像していなかったものでした。

ここは「小俣ペンション」だったところですか?

そう聞かれたのは初めてのことでした。

確かにここは今から49年前、前述の通り小俣ペンションとして開業して営業していました。

なので僕は「そうです。ここは小俣ペンションでした」と答えました。

そうするとその方は『ということはあなたが今のオーナーさんですか?』と聞かれました。

今は借りている身なので「今は借主ですが、将来的にオーナーになります。」と答えると、その方が凄い笑顔になって『そうでしたか!私は小俣ペンション時代に客として年4回通うほど、ここには良く来ていたんです!近くまで来ていたので昨晩気になって、天気も良いし峰の原に行ってみようと思ってきてみました。』

そこから色々と話が弾んで、昔の話を色々をして頂きました。

逆に僕は協力隊として活動していること、将来ここで暮らしていくことをお話ししたり、凄く楽しい時間になりました。

運転手の方はご主人で、助手席には奥様がいたのでふと「良かったら中をご覧になっていきますか?」と聞いてみました。

すると「見たい!!」と即答でしたので、せっかく遠くからお越し頂いたので中をご案内さえて頂きました。

ペンションは第二の故郷

建物の中に入ると二人で『懐かしいなー』とか『この部屋に泊まったんだよなー』とか、『この部屋はこうだったんだよなー』とか、当時のオーナーさんとの思い出をお話しされたり、まるでその当時に戻った時のような素敵な笑顔でお話しされているのを見て、凄く心が暖かくなりました。

そして思いました。

「ペンションはお客さんにとって第二の故郷なんだな」と。

案内を一通り終えて、ご夫婦はお帰りになり、見送る身としてはなんとなくペンションオーナーっぽいなり振りになりました。

ペンションのお客さんはリピーターになる方が多いのです。

それはオーナーさんの人柄に惹かれているからだと聞いていましたが、その意味が良くわかりました。

あの日の景色をもう一度

正直、僕は今の元ペンションの姿しか知りません。

カビた壁、腐った外壁、汚れたカーペット…など。

そんな現状でも当時の思い出がある人にとっては、そんなの関係無くて当時の思い出と共に当時の姿がそのまま残っているのだなと思いました。

その時、僕の脳裏には映画タイタニックのエンディング、ローズおばあちゃんの回想シーンで、沈没して年月が過ぎた薄暗いタイタニック号が、突如明るくなって沢山の乗客がいて二人を歓迎してくれるシーンを思い出しました。

元の建物の形は残しておきたいと考えていましたが、今回の体験を通じてより一層その想いは強くなりました。

来年の50年を節目にしたいこと

来年2025年は小俣ペンション開業から50年です。

それと同時に僕の協力隊卒業の年でもあります。

これって何かの縁なのか、50年という節目を迎えるにあたって、「旅館業としてこの建物を復活させたい!」と思うようになったのです。

地下の部屋は生ハム工房として使いつつ、1F、2Fを客室として復活させようとする挑戦。

いざ実行するとなると、莫大な資金が必要になることが明らかになりましたが、自分の出来る限界ギリギリ頑張ろうと決めたので、今は突っ走ってます。

今までは新規のお客さんを獲得することだけ考えていましたが、もしかしたら昔のペンション時代のお客さんも来てくれるかな?なんて淡い期待をしています。

とりあえず、これまで営んできたオーナーさんたちに顔向け出来るように、これから頑張って行く所存です!!

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