須坂市地域おこし協力隊の野澤です。
先週、峰の原高原では初雪&積雪&樹氷を記録する寒さとなり、いよいよ冬本番か!?
と思ったら今週は暖かくて困惑…白銀の世界はまだ先のようです。
そして冬至が近づくにつれて早くなる日の入り。夜が長いと活動時間が短くなるので色々と制約が多くなります。
さて、今回は最近色々と悩んでいる協力隊員のお話です。
協力隊あるある「こんなはずじゃなかった」問題
「こんなはずじゃなかった」というのは、協力隊として当初思い描いていた姿と実際の姿に差が生じることによって感じるモヤモヤです。
これは多くの協力隊員が抱えている問題で、その問題は人それぞれですが、いろいろな事案も聞いていたので「自分はそうならないように気をつけよう」と思っていました。
補助金制度(ソフト面)の理想と現実
まず初めに、補助金(ソフト面)制度が悪いと言っているのでは無く、しっかりを自分でビジョンを持って「なんとなくなってみよう」という安易な気持ちでやってはいけないということです。
もし他の地域の協力隊が「同じことをやってみたい」と言ったら『絶対にオススメしない!』というアドバイスをします。
そんな事例のお話です。
その協力隊員は年間で自身の活動費の10倍の補助金を頂いて事業を行っています。
これが背負ってしまった一番大きなものです。
当初は「自分がやりたいことをやってみよう」という気持ちと「事務的な工数の人件費は補助金から捻出出来る」という話だったので、「それなら出来るかも」ということもあり手を上げました。
手を挙げたのは良かったものの、その事業に詳しいわけではないので自分だけではどうにもなりませんでした。
ここから色々とあるのですが、書いていたら生々しくなってしまったので全部割愛します。
結果的に「自分のやりたいことは出来ない」こと「自分には事務費としての費用は捻出されない」ことが分かりました。
とにかく事務処理が大変。この費用はなんで発生して、どういう根拠で算出して、どういうふうに支払うのか、報告書や日報 etc… 協力隊の活動費の10倍の金額なので桁が違います。
そしてその費用は自分には一切手元に入らない。人に支払うために休日と睡眠時間を削って作業します。
そして外から見れば順調に進んでいるように見えるのです。自己を犠牲にして。
気がつけば「会社員時代とほぼ同じことしているのに給与が激減しただけ?」と思ったりして逆に笑えてきました。
それでもこれは自分一人で行う作業なので対外的にみられると「やたら反応が遅いヤツ」に見られます。最近「どうなってるんですか?」という問い合わせが増えてきました。
光があれば影が出来る。
自分は光側ではなく、影側にならざるを得ないことに気づきました。
当初のモチベーションを3年間毎日キープ出来る訳も無く、粛々とこなしていこうと気持ちを切り替えました。
もちろん、3年間の苦労を水の泡にしたくないので、あと1年とちょと我慢して補助金が終わったら自分のやりたいことを自分の力で、小さくても良いからやっていこうと決めました。
広すぎる箱と小さくなる財布
そしてもう一つ背負ったもの、それは大きな箱です。
その箱は経年劣化がひどく、修繕に多大な費用がかかります。
その修繕費用は協力隊の活動費でとても補えるものではなく、金融機関からの融資が必要になります。
協力隊員は卒業後の定住を決めたので、事業計画書を作り金融機関へ融資をお願いしました。
これまで、自分の人生で金融機関からの融資といえばマイカーローンか住宅ローン(フラット35など)くらいしか無いだろうと考えていました。
これらの信用は努めている会社の規模と勤続年数だったので、特に問題になりませんでした。
しかしながら、脱サラして協力隊となり、個人事業主として独立していく中で「金融機関はどのように借りる側の融資可否を判断するのだろう?」と考えていました。
新規事業なのでこの部分の信用は0。
「じゃあ新規事業者は全員融資を受けられないじゃないか?」と思いましたが、そこで重要になってくるのか「現在の貯蓄」であることを知りました。
考えてみれば当たり前なのですが…
会社員から協力隊になった当初はそれなりに貯蓄がありました。
「協力隊として給与貰ってるじゃん!?」って言われること承知ですが、会社員時代から月収は半分以下になり、ボーナスや時間外手当が無いので年収は1/3以下になりました。
協力隊の給与は生活費くらいのものなので、引っ越しをしたり、軽トラを購入したり、除雪機を購入したり、その他移住に必要な道具を揃えたり、修繕費用を出したりしているうちにどんどん貯蓄が減っていきました。
そんな中で箱を直してこの先事業を行うために必要な額は、予想していた通りかなり大きなものになりました。
その貯蓄がギリギリ保たれているラインでの金融機関への融資相談。
金融機関からしたら「こいつ返せるのか?」と疑われかねない額…
色々と最悪なタイミングです。
「じゃあ貯蓄があるうちに最初から融資受けてれば良かったじゃん」
って言われそうですが、最初は協力隊卒業後も定住出来るか?定住するためにどんな事業を行っていくか?と考える時間が必要だったので、このタイミングは不可避でした。
これがよく言われる「協力隊の任期3年で事業を起こして定住するのほぼ不可能説」だと感じました。
これを言うと起業した方から「ちゃんと定住してるけど」と言われてしまいそうですが、協力隊してのしがらみが色々あって(地域貢献的な)皆苦労しているわけですが、須坂市はありがたいことにそのハードルは低いので、なんとかやっていけそうです。
協力隊卒業まで…
最近は融資の件が色々と頭をよぎり、沈んだ気持ちになることが多いです。
協力隊卒業後の自分はどうなっているのだろう?
色々と背負いすぎた協力隊のお話は続きます。
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