協議会メンバー更新しました@2024.8.13_野澤隊員

【史跡】大笹街道の魅力に迫る「深掘り連続講座」のご案内

お知らせ

須坂市地域おこし協力隊の野澤です。

昨日は峰の原高原は非常に冷え込んで、晴れの予報に反して曇りだったため日中は日が当たらず、気温は3℃でした。

そして今朝は氷点下になり、今シーズン初氷・初霜を見ることが出来ました!

先週までは夏のような陽気だったのに「峰の原にも秋が無くなったか!?」と感じる今日この頃です。

これから峰の原は冬の足跡が猛ダッシュで近づいてきて、雪の季節になるでしょう。

雪といえば峰の原高原を通る「大笹街道」の土手道が際立つ季節です!(この流れ、強引か!?)

須坂市民なら今更聞けない「大笹街道」についての説明と信州須坂観光協会主催の「大笹街道深掘り連続講座」のご紹介です。

大笹街道とは?

大笹街道は江戸時代、善光寺平と上州を経て江戸を結ぶバイパスとして物資輸送の菫要な脇街道でした。

江戸末期には 善光寺詣でや草津湿泉への湯治、大谷不動尊・米子不動来する街道でもありました。

「大笹街道」の名称は、上州大笹(群馬県吾妻郡嬬恋村大笹)に至るところからは「仁礼街道」あるいは「信州街道」と呼ばれていました。

大笹街道の起点は北国街道・福島宿(須坂市福島町)。鮎川に沿って井上・八町・栃倉と段丘をのぼると仁礼宿に至り、 ここから先は険しい山道となるので身支度をととのえて、宇原川沿いの道をさかのぼり、   大谷不動尊入口を経て峰の原・菅平高原を土手道で南北に横切って鳥居峠(標高1,362m)を超え、田代を経由して大笹宿に着きます。これが江戸への最短道「大笹街道」でした。

大笹街道は、善光寺と現在の群馬県をつなぐバイパスとして、須坂市福島を起点に仁礼、鳥居峠を越えて群馬県大笹宿終点に、大戸道を経て高崎、関東に出るたいへん重要な脇街道でした。
江戸時代の仁礼宿の様子が、十返舎一九の「続膝栗毛」に描かれています。

善光寺から関東に出るためには、北国街道・中山道の主要街道を通るのが一般的ですが、
大笹街道を経ることで、

  • 距離が短くなる
  • 経費を削減することができる
  • 宿場数が少ないなどの利点

があり、江戸時代末から明治時代、鉄道が敷設されるまで北信濃の荷物を江戸・東京に運ぶために賑わいました。

また、江戸や関東の文化や産業が北信濃にもたらされる重要な道でもあり、須坂に生まれた全国初の製糸結社「東行社」の設立にも少なからず関係したと推測されます。
現在、須坂市仁礼町から鳥居峠まで、部分的ではありますが、往時の街道を歩くことができます。

引用:大笹街道 ~江戸から大正まで須坂の文化と産業を支えた道~
大笹街道(峰の原高原)

大笹街道深掘り連続講座

江戸や関東の文化や産業が北信濃にもたらされる重要な道でもあり、須坂に生まれた全国初の製糸結社「東行社」の設立にも少なからず関係した大笹街道を3回にわたり学びます。

暮らし観光を掲げる街道観光(人間の交流手段であり、またその場でもある街道(みち)を歩き、人びとの交流の原点にふれると共に、沿道の景観、街道や街道周辺に形成される文化の集積を訪ねる観光)を確立させるための基礎講座となります。

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